< ドイツ・ハノーファーエクスポ2000 -4>
パビリオンの骨格は紙! 〜日本館〜





各パビリオンは展示内容だけでなく建物にも工夫を凝らしている。その中でもとりわけ注目を浴びたのが紙で造られた日本館。骨格に再生紙を使い、外側をプラスチック製のシートで覆っている。“紙と建築”の結び付きをアピールする面白い試みだと思う。
 

日本館
印象的な“かまぼこ型”
日本館の内部
網目状に見えるのが再生紙のパイプで造られた骨格
再生紙のパイプ
想像していたより 
  だいぶ細い
展示内容は“二酸化炭素削減”をメインテーマにしていて分かりやすく構成されていた。惜しまれるのは技術的な解説の比重が大きく、見学後に強い印象が残らなかったこと。その対極の例がオランダのパビリオンで、言葉(文字や音声)による説明はほとんど無く、映像・音楽・展示物だけで構成されていた。これは意見の分かれるところだが、日本館にはもっと視覚的にインパクトのある展示アイデアが欲しかった。
 
日本館
オランダ館屋上
小型の風力発電用風車
オランダ館

日本館を見終わった何人かの来場者に話を聞いてみたところ“建物はすごく面白い! 内容はまあまあ。”との声が多かった。一人だけ“展示内容にはがっかり…”と率直に語ってくれた女性(スイス人、40代)がいた。その人は技術の話だけでなく日本の伝統や人々の生活も含めた“日本の今”を見たかったそうだ。確かにエクスポの来場者はパビリオンを通してその国に触れるわけだから“先端技術”だけではない日本の姿もあったならば、というのは欲張りだろうか。

ドイツ人にとっての日本は“最先端技術を持つ国”であると同時に“古い伝統文化が今なお息づく国”でもある。“自然と人間の一体感を大切にする自然観”は近代ドイツには無い東洋の優れた思想である。もちろん日本は、ゴミ問題、エネルギー問題、環境保全などドイツから学ぶことがたくさんある。しかしドイツ人の描く“環境と人間の将来像”が完全無欠なわけではない。100年先の自然と人間のあり方については“先端技術”と“東洋の自然観”という一見して両極端な顔を持つ日本こそビジョンを示せるのではないだろうか。私自身が具体的な回答を持っているわけではないが、エクスポ2000を見終わってふとそんなことを感じた。
 
 

後書き

ハノーファーエクスポ2000を見て、いろいろなことを考えさせられた。まず、情報化社会でエクスポに人を引き付けることの難しさ。各種のメディアを通して最先端情報に触れられる時代に、交通費・宿泊費・入場料を払わせてまで人々を呼び寄せることの困難さ。集客失敗の原因の一つは宣伝の下手さだが、それでだけではない本質的な問題を含んでいる。

びっくりするような映像ならば映画でもコンピュータゲームでも見ることができるし、観光ならば各種のアミューズメントパークで事足りる。取り壊すことを前提に作られるパピリオンにどれだけ本当の価値のある展示物を造ることができるのだろう? 入場者は展示物の安っぽさを簡単に見破ってしまう。“エクスポに行かなければ見れない、体験できない”ものをどう作り上げるか。今後のエクスポ開催は大変だと思う。

一方、人気があったのは各国の民族性を生かしたパビリオンだった。これだけ海外旅行が身近になっても、世界旅行ができるような感覚は多くの人を引き付けるようだ。ハイテク社会だからこそ、人は人間同士の触れ合いや伝統に強い魅力を感じるのかも知れない。

今回のエクスポのテーマは“人間・技術・環境”。中でも環境が大きな柱だったが、ある来場者(ドイツ人男性、60代)の「どこも“環境、環境…”で飽きた。」という言葉が特に印象的だった。環境が重要な社会テーマであることは将来も変らないが、多くの問題が解決された今、環境という魔法の言葉だけで人を引き付けることは難しくなっている。ちょっと極端な言い方をすると“環境疲れ”。すでにドイツはそんな時代に入っているが、そう遠くない日本の姿をも暗示しているように感じる。ドイツが“環境疲れの後の環境保全”をどう進めて行くか、非常に興味のあるところだ。
 
 

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